ナチス・ドイツの指導者だったアドルフ・ヒトラー。
彼は何かと「独裁者」のイメージで語られることが多い人物です。
私も当然、彼の名前を初めて聞き、学習を進めていた時は、彼のことをあまりよく思っていませんでした。
よく思っていなかったというのは、「悪いことをやっていた人」という印象を意味します。
ですがそのイメージは、私が大人になるにつれて少しずつ変わっていったのでした。
年内最後の記事となる今回は、「ヒトラー演説」(高田博行、中公新書、2014年)を取り上げます。
社会の勉強でヒトラーと出会う
私がヒトラーを知ったのは、小学校の頃、社会の勉強で歴史を勉強していた時でした。
第二次世界大戦と関連付け、アメリカなどと日本などが戦っていたあの大きな戦争を勉強していた時です。
日本は「日独伊三国同盟」を結んでいました。日本、ドイツ、イタリア。この 3国が手を結び、アメリカやイギリスと戦っていたのです。
イタリアの当時の指導者はムッソリーニ、ドイツの指導者はヒトラーでした。
これらの国々は「ファシズム」という言葉で説明されるような政治体制を築きました。
私はヒトラーのことを「悪い人」だと思っていたのは、ユダヤ人を迫害したことがそのイメージを助長させているのではないかと思っています。
ですが彼は選挙で選ばれたのです。クーデターなどではなく選挙で。
これは驚くべきことだと思いませんか。なぜ彼は選挙で勝つことができたのか。
それが本書の大きなキーワードである「演説」に隠されているのです。
話し方に引き込まれる
本書では、ヒトラーの演説を細分化し、様々な方向から分析しています。
第1章の「ビアホールに響く演説」では、後のヒトラーが行った演説につながるきっかけのようなものが。
第2章の「待機する演説」では、演説が少しずつ完成されていく様子が。
第5章、「外交する演説」では、戦争に備えるように話しかける演説。
そして第6章では「聴衆を失った演説」。ヒトラーが自殺する前の状況に触れられています。
このように、本書を通じてヒトラーの演説の栄枯盛衰が勉強できます。
権力者は、一度権力を持ち、その権力を維持していたとしても、それはいずれ失われてしまいます。
その権力をずっと維持することはできないのです。
このような多岐にわたる演説にあるように、彼の話に沢山の人が引き込まれていきました。
私もその 1人です。彼のことを賞賛するわけではありませんが、彼の話し方は何か人を引き込ませる力があり、聞きたくなるような話し方をする印象を強く抱きました。
私は話をするのがあまり得意ではないので、大変うらやましいと恥ずかしながら思ってしまいました。
「話す」ことは、現代に必要ではないか
本書を読んだ後にいろいろ考えたのですが、現代において必要なのはやはり話すことではないかと思います。
現代は SNS やら新技術やらと、世の中がどんどん先に進んでいきますが、やはり話すことにで相手に何を伝え、それに相手はどう動かされるのかを考えなければならないと思っています。
私は新聞記者をとして働いているので、話をすることがよくあります。
「これはどういうことなのか」「これについて教えてください」と、直接人と話をする機会が多くなりました。
これはメール等では絶対にできないことです。
直接人の目を見て一対一となって話す。それが大切なのだと思います。
私も彼のように、人の心をつかむ話し方をしたいと思います。でも、人に不快感を与えない、人に好印象を与える話し方。それが良いと思うので、心がけたいと思っています。
本書は私に話し方を考えさせてくれるきっかけを作ってくれました。大変感謝しています。
最後に
「小林英介の古書と人生」。年内はこれが最後の記事になります。
今思えば今年は転職、オリンピックなど沢山の出来事がありました。
私として 1番大きかったのは転職ですが、まさか記者になるとは思いませんでした。
これからも、様々な分野で書いていきたいと思っています。
読者の皆様、今年はお世話になりました。
また来年。良いお年をお迎えください。