私はライターとして記事を書き、編集者として編集もしています。
今回から新しく連載を担当することになりました。よろしくお願いします。
古書と新しい発見
私は古書探しをするのが大好きで、古本屋巡りを良くします。古本屋に行くと1時間くらいは立ち読みしてしまうくらいはまってしまいました。
古書を手に取って感じるその質感、匂い、汚れ...その本が実際に読まれた時代に思いを馳せ、イメージを膨らませてしまうことも。
ここ最近はこのご時世ですので、外出はあまりせず、自宅にある古書を読み漁る。

昔、目を通したことがある古書でも、再び読んでみると新しい発見があります。
「ここにこのようなことが書かれていたのか!」
びっくりするのもしばしばです。
古書と思い出

私はどちらかといえば、精神的に強くない人間です。小さいころからそうだった気がします。
いじめられ、毎日学校に行くのがつらい日々。そのような私を救ってくれたのが古書でした。
古書を読んでいると、時間を忘れられる。自分の世界に入りこみ、楽しい生活を送ることができる。
本を読んでいるときは楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
本をどれくらい読んだのかは沢山読みすぎて忘れてしまいましたが、ダンボール数箱分はあった気がします。いまだにその箱は開けることができないまま。
その箱には私のある意味での「思い出」が詰まっているのですが、開けたい気持ちもあるし、そのままにしておきたい気持ちもあります。
勇気を出して、今度開けてみようかな。私の課題が一つ増えました。
古書と私の人生
「人生は苦難の連続だ」
よく使われる言葉です。
人生は簡単なものじゃない。たくさん苦しいことやつらいこと、悲しいことが待っている。
私はこれらを乗り越えると、人生が少し楽になるのかなと思っています。
沢山つらいことを経験すると、またつらいことが起きても困らないのです。
「経験」というのでしょうか。物事への耐性がつきます。
私が古本を読んでいると、古書に対してふと考えることがあります。
「あなたも沢山の苦難を乗り越えてきたのかな」
古書に対して話しかけるように私は接します。
古書は幾たびの戦争、政変、時代の変遷を経て現在、存在しています。
古書が経験してきたことは、私の何倍、何十倍、何百倍も長いのです。まさに「人生の先輩」です。
だから私は古書に対して敬意を払い、その古書から何かを学び取りたいと考えます。
古書探しは1回で終わるものではなく、永遠に続いていきます。
そのなかでどのようなことを学び、感じたのか。
それを世の中に伝えていくことが私の役割であり、やりたいことでもあるのです。
このようにして私は古本に興味を持ち、古本が大好きになりました。
世の中の情勢を見ながら、適宜古本屋の紹介を予定していますのでお楽しみに。
